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両手で掴める量を意識して生きよう

最近、仕事でも私生活でも「余白」について考える時間が増えている。「余力」でも「余裕」でも言い換えられるんだけど、とにかく詰め込みすぎた期間があまりにも長すぎると良いことがない。メリハリが必要。時間に追われてコンビニ飯で済ませる瞬間、湯船に浸からずシャワーでサッと済ませる瞬間は手間から逃げている。ほかにも、買った本や漫画が手をつけられずに積まれていったり、録り溜めたテレビ番組がHDDを圧迫していったりなど、これまで当たり前に出来ていた時間の使い方できなくなると、人の心は擦り減ってしまう。 

だったら時間の使い方を変えてみてはどうか? 例えば、早寝早起きする。飲み会を減らす。極力、無駄な時間を減らして、情熱大陸に登場するビジネスエグゼクティブみたいな生活を心がけようとするが、こういった真似事は基本的に続かない。なぜなら、人間は無駄を好む生き物であり、その無駄の中から遊びや趣味を拡張するものだからだ。少なくとも自分は忙しさに怠ける。120%詰め込んだ時間の使い方をできる人はほんの一握りだし、大半の庶民は質の高い80%の生き方を選んだほうが賢明だろう。残りの20%の「余白」を有効活用する方が現実的だ。

こと仕事に置き換えても、人間ひとりができることなんて限られている。何でもかんでもやろうとして、責任を負おうとして、いま自分が両手で掴める仕事以上のモノを抱え込んだときに擦り減ってしまう。カドのないMONO消しゴム状態。さらに意識が必死な両手に集中し、高い視点で物事を捉えられなくなったら重症かもしれない。

その時間を乗り越えて成長することも大いに有り得るが、中間層のポジションになってくると前述の「余白」がなければいけないなと焦ることが多い。もし部下の目から見て、必死で余裕のない上司に映っていたら? 苛立ちや焦燥の色が濃かったら? 自分の仕事でも「余白」がなければ、アウトプットばかりでインプットが追いつかない。急な対応に時間を割けないし、誰かの誘いに応えることもできない。部屋は荒れ、嫁は機嫌を損ねる。つまり良いことがない。これぞ、余白なき負のループ…。

そんなのイヤだー!!

というわけで、両手で掴める量の仕事についてずっと考えている。同時に“強くて重い仕事に絞る覚悟”も必要なんだろう。クッションみたいな軽いモノで両手が塞がるよりも、ダンベルのような重いモノで両手を塞いだ方が鍛えられるはずだ。あまり話を広げるとマネジメント理論みたいな感じになるが、別にそういう話をしたいわけではない。仕事の大軸に合わせて私生活が回っていくのだから、生きる上での「余白」を意識することはものすごく大事なんじゃないかという話。

とりあえずGoogleカレンダーの「余白」を作ることから始めよう。